芦野宿と伊王野の里ガイドブック

芦野・伊王野地図
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義経伝説

東山道(義経街道…関街道)
源義経が治承4年(1180)兄頼朝の平家追討の挙兵に呼応して奥州平泉を後に一路鎌倉へと向った道で、義経伝説を裏付ける数多くのものが残されており、今も語り継がれている。


◆追分明神
 
  福島県との境に位置する峠神である。住吉玉津島神社という。古来は、住吉、玉津島神社の両社があったと思われる。何時の頃か、関東側のみとなった。延暦10年(791)、坂上田村麻呂が勧請したと伝える。峠神として旅人の信仰を集めていた。義経は、祖である源頼義にちなんでこの神社で鎌倉への無事と戦勝を祈願した。
 ―さえわたった秋の夜空に星が映えてきらめき、周りの山々が真っ黒に浮き上がり、東の山の端がやがて明るくなってきた。「月を拝もうではないか」義経はわずかの供を連れて東の山に登り、こうこうと照る月に手を合わせて、これから行く先々の幸いを祈ったのである―
◆月夜見山
 
 追分明神の東にひときわ高く聳える山をいう。月夜見山は月読で、月読命を祀った場所とすべきであろう。
◆具足岩(ぐそくいわ)
 
 夜が明けると、義経一行はすぐに追分明神を発ちます。さわやかな初秋の朝の追分の山道は、細く、なだらかな谷川に沿った崖の縁を通っている。
 夕べ、月を拝んで登った山は、今朝はもやにつつまれていた。道の右側は、そそり立つ深い山で、所々に道を覆うように切り立った岩肌が突き出ている。弁慶がこれを目ざとく見つけて、「具足のようだなあ」と大声でいった。鎧兜の「しころ・くさずり」のように岩が何枚も連なり、重なり合った様子が具足のように見えた。里人は、この岩肌を「具足岩」と呼ぶようになった。
◆竜洞不動
 
 シドキ林道の奥300mの所に祭られており、別名白滝不動とも呼ばれている。源頼朝の平泉討伐の時の伝説が伝えられている。
◆沓石
 
 追分から南下して初めての小集落である。三蔵川に架かった橋が目印である。橋の手前を右に折れると荒金沢である。橋を渡った道路沿いに大きな岩が横たわっている。この岩の中ほどに蹄の形の窪みがある。これが、義経の愛馬の足跡と伝えられている。蹄の形のある石が地区名となったものである。
◆滝の宮神社
 
 山間が開け、三蔵川の流れも水かさを増してくる。蓑沢を過ぎた崖の所に小さな祠があった。一行は、残暑の秋の陽を避けてここで休むことにした。祠のすぐ裏に細い滝があり、ちょうど鈴でも鳴らすようなすがすがしい音をたてて、三蔵の流れへ落ちていく。里人はこの滝を「鈴なりの滝」と呼んでいた。祠をめぐる木立から崖へかけて「葛」がいっぱいに花を咲かせ、その葉は珍しい四ツ葉であった。「滝の宮の四ツ葉のくず」として言い伝えられているが、残念なことに現在はない。
◆幣石神社(おんべし)
 
 一般に「おんべし」と呼ばれ、「御幣石」と書かれる。石に神霊が宿り、これを祀ったものである。古代信仰の一つである。畑の中に大きな石が数個散在している。昔、里人がこの石を取り除こうとして、割ったりすると、必ず病気に罹ったりするので、「おんべし」の祟りを怖れて、今もそのままにしておくという。
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